近年、歯並びや噛み合わせを整える「矯正治療」が、見た目の改善だけでなく“歯ぐきを守る治療”として注目されています。
2025年に国際的に発表された「歯周病患者に対する矯正治療の専門家コンセンサス(Expert consensus)」では、「歯周病の安定を前提にした矯正治療」は、歯の保存・機能・審美すべての面で有効であることが示されています。
■ なぜ歯周病と矯正治療を組み合わせるのか?
歯周病は、歯を支える骨(歯槽骨)や歯肉が徐々に破壊される病気です。
炎症が長く続くと、歯が動きやすくなったり、前に出たり、隙間が空いたりといった「病的な歯の移動」が起こります。
これを放置すると、噛み合わせが崩壊し、歯の喪失へと進行してしまいます。
実際、重度の歯周病(ステージIII〜IV)の患者のうち、約70%以上に歯の移動が確認されるという研究報告もあります。
つまり、「歯並びの乱れ」が歯周病の結果であり、同時に進行要因にもなるのです。
こうした症例では、歯周治療だけでは限界があり、矯正治療を組み合わせることで“機能と安定”を取り戻すことができます。
歯を正しい位置に戻すことで清掃性が改善し、プラークがたまりにくい環境が整うため、長期的な安定につながります。
■ 矯正治療を始める前に ― 最も大切なのは「歯周の安定」
今回の専門家コンセンサスでは、まず「炎症の完全なコントロール」を優先することが強調されています。
矯正を始める前に、歯ぐきが腫れておらず、ポケットが5mm未満で出血がない状態(BOP陰性)が基準です。
歯周病の治療ステップは以下の通りです:
- 初期治療(非外科治療):プラーク・歯石除去、生活習慣改善(喫煙・糖尿病管理)
- 再評価(Re-evaluation I):炎症がコントロールされているかを確認
- 外科的治療(必要に応じて):深いポケットや骨欠損に対し、再生療法などを実施
- 再評価 II &メンテナンス:治癒確認後、矯正治療の計画へ移行
特に、再生療法(骨・歯肉の再生手術)を行った後は、6〜12か月の治癒期間を置くことが推奨されますが、最近では3か月程度で矯正を開始しても良好な結果が得られるという報告もあり、ケースごとの柔軟な判断が求められます。
■ 「歯周×矯正」治療の目的
① プラークコントロールの向上
歯並びが整うことで、磨き残しが減り、歯周病の再発リスクが低下します。
② 噛み合わせの再構築
咬合性外傷(噛み合わせによる歯ぐきや骨への負担)を取り除くことで、骨吸収の進行を止め、安定した咬合を取り戻します。
③ 審美性の回復
出っ歯やすきっ歯、歯肉ラインの不揃いを改善し、笑顔の印象を大きく変えることができます。
■ 矯正設計の基本 ― “弱い力”と“分割力学”
歯周病が進行すると、骨の支えが少なくなり、歯根の抵抗中心(Center of Resistance)が根尖側に下がります。
そのため、健康な歯よりも軽い力で動かす必要があります。
推奨される矯正力は、1歯あたり5〜15g程度と非常に小さい値です。
また、全体を一度に動かすのではなく、部分的にコントロールされた力(セグメントアーチ)を用いることが推奨されています。
特に「前歯の挺出・歯の傾斜改善」では、歯根吸収や骨吸収を防ぐため、力の方向・大きさ・持続時間のすべてを精密に管理する必要があります。
■ ワイヤー矯正 vs アライナー矯正(マウスピース矯正)
アライナー矯正(例:インビザライン)は清掃性が高く、見た目にも優れていますが、
歯の動揺がある歯周病患者では、着脱時の負担が歯根にストレスを与える可能性があります。
論文では、以下のようにまとめられています:
| 状況 | 推奨装置 |
|---|---|
| 軽度〜中等度の歯周病 | アライナー可(清掃性を重視) |
| 重度歯周病(ステージⅣ) | ワイヤー矯正推奨(力の制御がしやすい) |
つまり、清掃性と力のコントロールの両立が重要です。
軽度のケースではアライナーが有効ですが、骨吸収や動揺が強い場合は、ワイヤー矯正の方が安全です。
■ 矯正中に起きやすいトラブルと対応
- 歯肉の炎症・出血
→ 即座に歯周治療を優先し、矯正を一時中断。炎症消退後に再開。 - 歯の動揺の増加
→ 過度な矯正力を減らし、スプリントや固定を併用。 - ブラックトライアングルの出現
→ 接触点の調整・歯根の角度修正・場合によっては歯肉移植で対応。 - 骨吸収・歯肉退縮
→ 歯の移動方向(唇側移動など)に注意し、必要に応じて軟組織増生。
■ 矯正後こそ大切な「維持」と「管理」
治療後は、歯並びを維持するためにリテーナー(保定装置)が不可欠です。
論文では、骨吸収の程度に応じて以下の保定方針が示されています:
| 骨吸収量 | 推奨保定法 |
|---|---|
| 軽度(根の1/3以内) | 取り外し式リテーナー(マウスピース型) |
| 中〜重度(根の中部〜根尖) | 永久固定式リテーナー+定期チェック |
さらに、3〜6か月ごとの定期的な歯周メンテナンスが重要です。
保定装置の破損や接着剤の残留はプラークの温床になりやすく、歯周病再発のリスクを高めるため、専門医による管理が推奨されます。
最近では、3Dプリンター製の固定式リテーナーも登場しており、従来よりも清掃性と精度に優れると報告されています。
■ 歯周×矯正治療で得られる“未来の価値”
2025年の国際コンセンサスでは、「歯周治療後の矯正は、歯の喪失リスクを下げ、患者満足度を高める」と結論づけています。
具体的には、歯周治療単独群に比べ、再発率が約半分(33%→15%)に減少したという報告もあります。
また、審美性や咀嚼機能に関する患者満足度(PROs)も有意に改善しており、見た目だけでなく「噛める」「長持ちする」ことが最大のメリットとして示されています。
■ まとめ ― 歯を“動かす”前に、歯ぐきを“整える”
歯周病がある方にとって、矯正治療は“危険”ではなく、“再生のチャンス”です。
ただし、それを成功させる鍵は「順序」と「連携」にあります。
- 歯周病の炎症を完全にコントロールする
- 歯周専門医と矯正医が連携して設計する
- 弱い力で、ゆっくり動かす
- 治療後もメンテナンスを続ける
歯並びを整えることは、見た目だけでなく「歯を長持ちさせる」ための投資。
そして、「歯周治療+矯正治療」はその最前線にあるアプローチです。
参考文献:
Zhong W, Zhou C, Yin Y, et al. Expert consensus on orthodontic treatment of patients with periodontal disease. Int J Oral Sci. 2025;17:27.
